浜辺の少年

 

“I do not know what I may appear to the world, but to myself I seem to have been only like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself in now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.”

 

この文章は、物理学者ニュートンの名言として広く知られています。

新たな知識の獲得や発見があると、すぐに舞い上がってしまう浅慮、軽薄な自分自身を省みて、この文章をよく思い出しては戒めています。そういえば、過日、遅ればせながら、人類の歴史を新たな視点で俯瞰した「サピエンス全史」を夢中になって読んだ直後に、歴史的真実に少し触れたような錯覚をしたのですが、まさに自分は浜辺の少年(only like a boy)でした。かのニュートンでさえ、という含みも謙虚に認識しなければいけまえんが、所詮、凡人はこんなことを日々繰り返して暮らすのがせいぜいといったところでしょう。

 

短文ですが、appear(客観的に~に思える)とseem(自身の主観・経験から~に思える)の微妙なニュアンスの使い分け、a boyに続く現在分詞による修飾 in⇒finding~と続く構造、 lay~un…edの語法、そして「真理の大海」the great ocean of truthという語彙(or フレーズ?)など、じっくり検討を加えながら精読、音読する良い素材にもなっています。 *appearとseemの違いは諸説あり

「英文標準問題精講」では、練習問題20番に採り上げられています。

 

 

英文標準問題精講

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