Not A so much as B

 

"In such a case, it is often not the thought that strikes us as familiar so much as the way in which the thought is expressed"

 

英文標準問題精講の35番の抜粋です。タイトルにある表現を「AというよりもむしろB」と構文、または慣用表現として覚えてしまえば解釈は困難ではないのですが、音読の際に、ここに出てくるso much as の部分をネイティブは頭の中でどう処理するのかいつも考えてしまいます。英文は、語順どおり頭から理解することに自分なりにこだわったきたこともあり、この文章とは長いつきあいになりますが、いまだに中途半端な感覚から抜け出ることが出来ない状態です。Not(~でない)の余韻を残したままSo much(・・それほどまでには・・というニュアンスでしょうか )までいき、as~(as以下~までほどには)と補ってA<Bといった不等号的な意味合いを認識するプロセスでしょうか。「BほどにはAではない」から「AというよりはむしろB」といった訳出が定着化したとも考えられますが、身近にネイティブの先生がいたら、こういうことをぜひ聞いてみたいものです。

 

作家の思想そのものではなく、思想の表現の仕方をみれば誰が書いたか察しがつく、親しみの情がわいてくる。英文を読んで、こういう経験がいつかできるようになるものでしょうか。

この35番も短文ですが、含蓄のある内容が印象に残り、個人的に音読回数の多い文なので紹介してみました。